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2011年9月19日月曜日

パラダイムシフト

パラダイムシフト

その人個人で意見も見方も少しづつ違ってくるとは思いますが、私の個人的な主観で、過去確かにこれは、パラダイムシフトだと思う出来事をここにに3つ上げげます。

1.マイクロプロセッサー

 私が大学4年の時私を指導してくれていた院生が、発売したばかりのPC-8001を購入しておられました。私もEX-80というマイコンボードを買ったのが、ちょうどその頃。学生時代の計算機の授業は、大型機ばかりでしたから、雑誌(その頃RAM:RandumAccessMagagine)とかでマイクロプロセッサーという単語を見たときは、世の中にこんなものがあるんだというものすごい衝撃が走ったのを覚えてます。
 計算機が1チップになってるというのを知ったとき、私の仕事は、これだというその時すでにもうそう決めていました。もともと計算機の仕事をしたいという希望を持っていたもので、大学も電子工学にしました。情報工学というのがその頃なんなのかわかっていなかったというのもあります。でも研究室はやっぱりその頃から計算機のほうは、人気がありました。私は、アミダくじで物性関係の研究室で太陽電池を作ってました。(今考えればこっちをやっとけばという気はしますが、、)
 マイコン雑誌で見る単語が、次から次に知らない単語ばかり、ROM、RAMって何?から始まりましたから、非常に新鮮な気分で興味を持てた記憶があります。計算機実習は、大型計算機で、私は、Πの計算を100桁計算とかをやってました。カードパンチャーで、その頃はFORTRANで作った記憶がありますが、穴を開けたカードを持っていきCPU時間は30分くらいでしたが、バッチ処理だったので、結果が出てくるまでに1晩かかりました。ででてきた結果が、コンパイルエラーとかなんとか、DEBUGするのにかなり計算機室まで通ったような気がします。でもΠの計算ができたときは、大喜びでした。今では、こんなのフリーのソフトで練習にもならないし、パソコンで一瞬で終わります。その頃は、そういう平和な時代でした。
 大型計算機は、計算機室というとってもきれいな部屋で大事にされていましたし、1台の値段って私は知らないですがすごい金額だったでしょうね。それが1チップって信じられない世界でした。これは、パラダイムシフトと言ってももいいはずで、数限りないマイクロプロセッサーが今までに設計され続けてるはずです。でもまだその頃は、大型機全盛の頃、メインフレームの仕事をしている人たちからマイコンはおもちゃだとずいぶん言われたものです。64Kbyte以上のメモリー空間がなんで必要なのと言っている人もいました。
 私の最初の仕事は、とは言いながら、ミニコンのソフトの仕事でした。でもやっぱりマイクロコンピュータのハードがやりたくって会社を移ったのはこの頃でした。1980年の初め頃私が社会に出て働き出した頃、ちょうどこの頃、ゆっくり、でも着実に、大きなパラダイムシフトが起きていたはずです。

2.FPGA

 初めて知ったのが、私がちょうどある会社の研究所で勤務している時です。研究所に勤務する前までは、TTLでデジタル回路それもCPU周辺回路を設計してました。Z80とかモトローラ6809、68000、私はTIのCPUをよくやってました。TI9900、9995、99000、DSPとかもその当時ありました。PLD、PALとか、少し出てくるようになってかなり実装面積が減らせたもので、言語設計ABELとかもその時初めてお目にかかりました。
 転職後、XILINXのFPGAを見たときは、何か気持ち悪いICがあるなと思ってました。PLDのお化けのような、1990年にXC4000が出たとの事で、私は、その前のXC3064を使ってました64000ゲートだったと。価格は、恐ろしく高かったです。それを4個?使ってリアルタイム画像処理用のトリプルポートDRAMコントローラをPC98のボードとして設計しました。
 Windowsはありましたが、まだ95が出る前の頃使い物にならないWIndowsで、Xilinxは、DOSのツールがありました。前もって設計した回路図を見ながら、CLBとその回りの配線を手作業で入力して作ったものです。回路図から自動でできるツールもありましたが、3日くらいかかっても出てこなくてそのわりには、あまり効率がよくないので、今で言うFPGAエディターです。これでないと入らないと言われ仕方なくこれを使ってました。
 問題が起きてもASICではないので、いつでも修正できたのが、強みでした。いつかは、きっとASICを蹴散らす日がくると信じてましたが、今はまさにそうです。時代は進歩してます。今は、VerilogとかVHDLとかの言語設計で、シュミレーションすると完全なまでにDEBUGできます。ゲートアレーの市場とTTLの市場を殆ど食いちぎってきてしまったようです。これもある意味パラダイムシフトのはずです。
 System-Cとかいう言語もあるようにいづれハードウェアもCで設計、世の中ソフト屋さんばかり?。アナログ回路ができる半田付けできるハード屋さんは今では貴重な存在ですかね。
参考URL

3.WWW

 時代はハードウェアでは儲からないという時代に入りました。世の中皆ソリューションとかなんとかで、ハードウェアを撤退、皆海外に出て行きました。日本の金型設計の技術ももうほとんど海外に出てしまったといいます。
 PCの製造とか電気製品の工場、その他何でも工場は、海外に出て行きそうな気配です。ネットワーク社会が到来して、プログラマーの数が全く足らないとその昔言われておりました。別タイトルのBlogでも書いたように、初めてWWWを 見た時もかなりな衝撃を覚えました。
 それを見た優秀な私の知っているソフトウェアエンジニアは、かなりな危機感を抱いていたようでした。「もうプログラムは必要ない」と。でも、結局はそんな事にはなりませんでしたが、この天才的な大発明が、世界に普及するまで、インターネットが普通に使われるまでは他のメディアに比べて、すばらしく早かったとどこかで読んだことがあります。混沌とした情報に溢れた世界にいます。これを善意に使うも悪意に満ちた使いかたをするのも自由です。でもこのCERNの素粒子研究者が、大きなパラダイムシフトのきっかけを作ったのだと私は思っています。

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